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冬野由記
冬野由記
標高と緯度の高いところを志向する風来坊です。

2007年02月12日

第二十六章:暁幌よさらば その4


 人々は、今度こそお終(しま)いだと諦めた。

「アスプロス! アスプロス! こっち! こっちに!」
 そのとき、岸辺でネルが叫んだ。
「おいで! おいで! アスプロス! あたしのところに!」

 アスプロス。白い忠実な僕(しもべ)。ネルを守り、愛してきた白い鳥。
 アスプロスは、岸辺に懐かしい主(あるじ)、そして大切な友、白い少女の姿をみとめた。
 迷い、躊躇し、湖面の小船の周りを廻る。
 白い老人が何か怒鳴るのと、アスプロスが加えていたランプを湖面に捨てたのは同時だった。
 アスプロス、白い大梟は、いったん天井近くまで高く飛ぶと白い少女のもとに舞い降りた。
「いい子。いい子。アスプロス」

「うおおおおおおおお!」
 老人が叫んだ。
 そして、泳ぎ着いた輝と瑛が小船に取り付こうとする寸前、老人は狂ったように身体を躍らせると湖に落ちた。

「おじいさん!」
 ネルが叫んだ。
 アスプロスが羽ばたき、湖上を舞う。
「おじいさん! てらす! てらす!」

「くっそう!」
「俺に任せろ!」
 瑛が水中にもぐり、沈みつつあった老人を水面に引き上げる。輝が手を貸し、ふたりで老人を抱えながら小船に乗せ、岸に向かった。
「おじいさん! てらす!」

 小船が岸にたどりついた。
 白い老人が、穂村十三が横たわっている。
 男爵も亨も円も、市民たちも小船の周りに集まる。
「てらす!」
 ネルがびしょ濡れになって息を切らしている輝の胸に顔をうずめた。そして、輝に肩を抱かれながら老人にすがり、呼びかける。

「おじいさん! おじいさん!」

 老人が目を開けた。
「おじいさん?」
「お・・・おお」
 亨が呼びかけた。
「十三さん・・・あんたのお蔭で・・・俺たちは・・・俺も円も・・・」
「十三さん・・・この人も、わたしも、十三さんのお蔭でこうして・・・」
 円も呼びかける。

 輝をじっとみつめていた十三が目を大きく見開いた。
「トオル・・・トオル・・・無事だったか・・・」
「十三・・・さん?」
 十三が輝の手をとり、それを自分にすがって泣いているネルの手に重ねた。
「よかった・・・トオル・・・この手を・・・離すんじゃない・・ぞ・・」
「おじいさん?」
「十三さん」
 十三が目を閉じる。

 円の目から涙が溢れた。
 十三さん。あんたの時間は、あの日のあの時、止まってしまったの?
 わたしたちは、あの日、あの時のあんたのお蔭でここに居る。
 あんたが居なければ、わたしたちも、輝も、ここには居ない。

「おじい・・さん・・・おじいさん!」
 ネルが十三の胸にすがって泣いた。
「ネル? ネル・・・お前は・・・ネルだね」
 十三がふたたび目を開けた。
「おじいさん!」
「ネル・・・幸せに・・おなり。・・・もう・・・何もかも・・・片付いたから」
 ネルと輝の手を握っていた老人の手から力が失せた。

 ネルが静かに身体を起こす。
 白い少女は白い老人の額をやさしく撫でながら静かに呼びかける。
「おじいさん」
 ネルの声がやわらかな光につつまれた。
 光につつまれた言葉がゆっくりと昇った。
 頭上で白い鳥が一声鳴いた。
 人々が見上げると、白い鳥が光に包まれたように見えた。
 白い鳥は人々の頭上を大きく弧を描いてひとさし舞うと、湖面を滑るように飛び、洞穴の奥へと去って行った。

「十三さん・・・行っちまった。暁幌も・・・お袋さんも・・・行っちまった」
「あんた・・・」
 しゃがみこむ亨を円が抱きしめた。

 穂村十三。
 彼もまた、暁幌を愛し、暁幌に愛された暁幌の申し子だった。

「ネル」
 肩をそっと抱いた輝の胸に顔をうずめ、少女は声を上げて泣いた。

 永い眠りから覚めた暁幌は、ふたたび眠りにつくことを選んだのだ。
 眠らせておくれ。
 もう揺り起こさないでおくれ。
 いつのまにか鏡のように静まりかえっている湖が、人々を黙って見つめていた。


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Posted by 冬野由記 at 20:03│Comments(0)連載小説
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