第二十六章:暁幌よさらば その3

冬野由記

2007年02月12日 19:57

 今度は何だ。

 見ると、地底湖の反対側、向こう岸の奥にそびえる巨大な岩壁が動き出している。
 亨が振り返って叫ぶ。
「危ない! 皆、戻れ!」
 下ろうとしていた人々が慌てて、ふたたび丘を駆け上る。
 岩壁は、ゆっくりとはがれ、やがて巨大な岩の塊が湖面に向かって落下した。ふたたび轟音が洞穴内に響きわたり、湖面が大きく飛沫をあげ、うねりが大波となって丘に打ち寄せた。
 人々は恐怖の叫び声をあげたが、波は丘を洗いはしたものの、やがておさまった。
 静かになった。
「おい・・・ガスだ」
「ガスだ。ガスだぞ」
 坑夫たちが気付いた。
「ガスだ。それもすごい量だぞ!」
 亨も怒鳴った。
 岩が剥がれ落ちたために、その奥に溜まっていた石炭ガスがあたりに漏れ出したのだ。

「おい! あれ! 何だ!」

 湖の真ん中あたりに小船が浮かんでいる。その上に、白い人影が立っている。
 その頭上を舞う白い翼。

「おじいさん!」
 ネルが叫んだ。

「十三(じゅうざ)さん!」
「穂村!」
 小船の上で、白い衣をまとった老人がランプをかざしている。
 穂村十三。神の楽園の番人。ネルを育てた男。亨と円の命の恩人。そして、今は狂気の人。新暁幌の妨害者。
 その声が洞内に響き渡った。

「醜い、愚かな者たち!」
「おじいさーん!」
「今こそ、汝らの滅びのとき」
「おじいさん! やめて!」
「天を割き、地を平らげる」

 十三が手にしていた安全灯を高々と掲げた。
「大変だ! ガスに点火するつもりだぞ! そんなことされたら・・・」

 おそらく、以前からガスの溜まっている岩盤に目をつけていたのだろう。十分に溜まったところで、岩盤を崩し、大量のガスによって、この新暁幌炭鉱をわが身もろとも崩壊せしめようというのだ。

 輝が、丘を駆け下る。
「てらす!」
 ネルが後を追う。
 瑛も走った。
「ばかやろう! お前、怪我してるじゃないか!」
 輝が走りながら包帯を解き、湖に飛び込んだ。
「こんちくしょう! それに、俺のほうが泳ぎは得意なんだよ!」
 瑛も後を追って飛び込む。
「無茶な!」
 岩崎が数名の警官を率いて後を追い、水際に向かった。

「てらす!  おじいさん! おじいさん!」
 ネルが白い老人に向かって叫んだ。
 何とか止めさせなければ。

 十三が、手にしていた安全灯のシェードを開いた。
 人々は息を呑んだ。
 しかし、爆発は起こらない。

「そうか! 天井だ! 助かった。ガスは軽いから・・・」

 男爵がそう言ったのもつかの間、十三が両手を広げると、頭上を舞っていた大梟(おおふくろう)が主(あるじ)のもとに舞い降りる。十三は、シェードを開いた安全灯を忠実な僕(しもべ)に託した。大梟が安全灯をくわえて、大きく羽ばたいた。そして弧を描きながら高く舞い上がる。
 万事休す。


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